何もしたくない

頑張らない、を自分に課したんだけど、

そうすると仕事にも行けなくなるし、お風呂にも入れなくなるな。


使う言葉が違うのか。

「頑張らない」ではなく


「思った通りに行動していい」かなあ。

「やってみて、嫌だったらすぐ辞める」


何もしないのではなくて、

何かを始める。

嫌だったら辞めていい。


常に面白いことはないかなあと探すことだ。

自分を弱者認定することの弊害について

こうして自分語りをしてみて感じたことがある。

よくネットで見かける自分語り。それと全く違わないなあということ。


というか、何と言ったらいいのだろうか

「よくある話」なのだ。私の経歴、といあのは。

というよりも、よくある話に振り分けられない思い出話なんてあるのかな。

おそらく、ほとんどの人は、似たような壁にぶつかって、悩んで、解決したりしなかったりしているんだと思う。


そこでだ。

最近の「こんな症状に注意!それ、うつ病かも?」的な風潮。

あれが、世の人々の自意識を肥大させ(?)自分は病気なのかもしれない、したがって無理をしてはいけない…

と間違った方向に持っていくこともあると思うのだ。


何が言いたいかっていうと、

自分は(病気だから)弱い

という認識を持つことは、

自分の頭で考えることをやめることでもあると思う


弱いから仕方ない、と身を任せたままでいると、

何にも自分で決められなくなってしまう。

その結果、本当に悪い方向へ進んでいったりすると思う。


本当に病気のときと、落ち込んでいるだけのとき。

その線引きは難しいけれども、

後者の場合は、いたずらに自分を甘やかさない方がいいよ。

と、自分の経歴を振り返って思った。





自分を弱者認定することの弊害について

盛大に自分語りをしてみようと思う


小学校時代

めちゃめちゃ頭が良かった。運動もできた。ほぼ無敵。


中学校時代

周りみんなが頭がいい。無敵だった私はここではお荷物。

勉強が好きでもないし得意でもないということに気づく。

自信を失い、友達にも積極的になれなくなる。

中学三年生のころから、いつでもなぜか焦っていて、そわそわしていて、落ち着かなかった。暗く悲しい気分だった。


高校生時代

ザ・暗黒。ほとんど覚えていない。

学校に通うだけで精一杯。

自信の欠如が極まった状態で、人と話すのも嫌、勉強も嫌、とにかくすべてが嫌だった。

部活動に心血注いでいたけど、なぜかやったこともないバスケに挑戦し、毎日下手くそな姿を見せながら夜遅くまで練習に明け暮れる。

彼氏が一回だけできて、やることもやった。唯一心の安らげるひと時だった。優しく好きでいてくれた。


大学時代

希望通りの大学に入ったものの、自信の欠如状態が尾を引いていて、何事も楽しめない。

挑戦することはしたが、自分で決断できない、良し悪しが判断できない性格が災い?して、興味のないことをずるずる続けたりした。

だが、そんな回り道があとになって結構重要だったかも。

結局4年で卒業できずに24まで大学にいることになる。学費の件は思い出すたびに心臓が痛くなる。父ちゃん母ちゃんゴメン。

今のところお金を返せるあてはない…。


人目が怖くてしょうがなくて、外出ができないレベルにまでなっていたから、病院へ行く。流行りのうつ病かと思いきや、「不安障害」という病名をもらう。のちのち、これが「気分循環性障害」という名前に変更になる。そううつのもっと軽いバージョンだと思ってもらえれば。


とりあえず卒業はする。


25歳

実家に戻って療養という名目でダラダラする。一ヶ月はだらだらしていたのだろうか、思い立って昔通っていた塾へ講師として働くことにする。運良く採用。

月に3万くらいしか稼げなかったけど、予習が大変だったけど、生徒にはなめられるしで大変だったけど、いい経験になった。

りんご農家でのバイトも一緒に始める。

朝から夕方までりんご農家でのバイト、そこへ塾講師としてのバイトのダブルワークで心身ともに疲れ果てた時期が3ヶ月くらい続いた。

今思うとよく頑張ってたな。


25歳の春

とある人のブログやツイッターを見て感銘を受け、どうせ死ぬなら好きなことやって死のう。同じ場所でうずくまってないで、正社員になって働いてみよう。なんでもやったるで。

という開き直り方をして就活。その後、うまく今の仕事に就かせてもらった。

ラジオにまっっったく興味がなかったが、ある程度自由にさせてもらえる職場の雰囲気のおかげで、

やる気がゼロのときも周囲に気付かれず、なんとかお金をもらって夕方まで悠々と過ごすことができた。


26歳〜現在

だんだんと仕事が忙しくなる。

最初に任されていた仕事量の、おそらく2倍ほどに増えている。

しかしそれでも2倍か。

同時に、人間関係もきつくなる。仕事に理想を抱いて、ビジネスライクってなんだ!?そんなもの、必要ない!と苦悩し、頑なにフレンドリーな態度を心がけていたら、案の定浮く。

なおかつ、人に頼ることのできない性格が災いして、一人で仕事を抱え込んでいるという評価を受ける。


とりあえずここまで

読書ってそんなに大事か?

http://anond.hatelabo.jp/touch/20130529131215

「正直言って、〜を見下している」シリーズを読んで


この方は、読書することの大切さを説明している

要旨は、こうだ

学ぶために必要なことの三つは、旅に出ること、人と話すこと、そして本を読むこと、だそうだ

世の中色々な考え方があることに触れ、自分とは違うものの許容量を増やしていくこと

それが、学ぶことになり、この方にとって目指すべき人間像である、ということみたいだ


だけど、私はそうは思わない

読書は、そこまで重要ではない

上に上げた3つの中で言えば、一番話す大事なのは「人の話を聞くこと」もとい、人と「話す」ことだと思う

読書は、一方通行だ

文字を追い、そこに書かれてあることを咀嚼し、理解し、自分の知識体系の一つに位置付ける

そこには、他者の入る余地がない。全部、自分の中での出来事


この方の言う、「ものの見方を広める」のに大切なのは、他者とのコミュニケーションの中で、誤解したり誤解されたり、やりすぎたりやらなすぎたりして、実践の中で人間とはこういうものだと体感していくことではないのかなあ。

読書は、自分の考えを研ぎ澄ますにはいいと思うけど、ともすれば独り善がりになっちゃう可能性もあると思う。


※ここまで書いて思ったのが、選ぶ本にもよるということ。

自分の読める範囲の本、理解できる範囲の本、興味のある本だけに手を出していると、考えが偏ってしまうと思う。

他者に対する想像力は広がらないのではないかしら。


また、その人に今欠けているものが何なのかによって、読書が必要な人もいれば、会話が必要な人もいれば、何もしないことが必要な人もいるであろうと思った。

自分の場合でいくと、今私は人と会話することが必要なので、読書で自分を固める必要はない。

愛するってどういうことだ

彼のことを愛しているなら、

さっさと抱き合っちゃえばいいのに。

と最近は思う。

だけど、怖くてできない。


自分の中でだけ、愛していると叫んでも、絶対に伝わらないし、

いつまでも胸の中にぐるぐるととどまらせることは、感情の発酵を招く。

そうしてできあがったものは、とてもじゃないけど人前に出せるものじゃなくなる。

そうなる前に、なんとかしたい。

発酵が始まっている。

愛するってどういうことだ

以下、ある人に向けたラブレターになります。


1.あーあ、好きなら抱き合っちゃえばいいのにね。


出会いは、この会社に入って割とすぐ。したがって1年ほど前になるだろうか?

部長に「彼の作っている番組を見学しに行け」と言われて、はあそういうもんですかとのこのこと出かけて行った。

その頃の私は、自分の思った通りに行動することの気持ちよさに目覚め始めた時期だった。

それなのに、会社ではそれが許されない。本能的な衝動は抑えさせられる。

そのわだかまりを解決する方が見つからなくてプスプス煙を出していた時期だったと思う。


彼のいる部署へ行き、彼のデスクの前に立ち

「すみません。」と声をかけた。

「なんだ」だか「誰だお前」だか言われたと思う。

自分の名前を喋り、

「あなたの番組を見学させてもらってもいいですか」と訊いた。

「なぜ」とすぐ返答が返ってきた。

私は答えた。

「好きだからです。」


「よし。わかった。

番組のあとの、終わった後の打ち上げも来い。」

そう言ってくれた。


怖い人だと、聞いていたから、とてもドキドキした。

というか、今でもドキドキする。


好きな詩人、茨木のり子の詩に

「ぎらりと光るダイヤのような日」

というものがある

以下、引用します


「短い生涯

とてもとても短い生涯

六十年な七十年の


お百姓はどれほど田植えをするのだろう

コックはパイをどれ位焼くのだろう

教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう


子供達は地球の住人になるために

文法や算数や魚の生態なんかを

しこたまつめこまれる


それから品種の改良や

りふじんな権力との闘いや

不正な裁判の攻撃や

泣きたいような雑用や

ばかな戦争の後始末をして

研究や精進や結婚などがあって

小さな赤ん坊が生れたりすると

考えたりもっと違った自分になりたい

欲望などはもはや贅沢品になってしまう


世界に別れを告げる日に

ひとは一生をふりかえって

自分が本当に生きた日が

あまりにすくなかったことに驚くだろう


指折数えるほどしかない

その日々の中の一つには

恋人との最初の一瞥の

するどい閃光などもまじっているだろう


〈本当に生きた日〉は人によってたしかに違う

ぎらりと光るダイヤのような日は

銃殺の朝であったり

アトリエの夜であったり

果樹園のまひるであったり

未明のスクラムであったりするのだ


引用終了


わたしにとっての、〈ぎらりと光るダイヤのような日〉は、この時始まったようだ。

その時、彼と話したことの一語一句を覚えている、いや覚えているように錯覚していることの思い違いの強さが、それを物語ると思う。


詩の中では、〈ぎらりと光るダイヤのような日〉というものが、「本当に生きた日」という風に言い換えもされている。

私は、彼と話していると、本当に生きているなあと思う。