自分を弱者認定することの弊害について

盛大に自分語りをしてみようと思う


小学校時代

めちゃめちゃ頭が良かった。運動もできた。ほぼ無敵。


中学校時代

周りみんなが頭がいい。無敵だった私はここではお荷物。

勉強が好きでもないし得意でもないということに気づく。

自信を失い、友達にも積極的になれなくなる。

中学三年生のころから、いつでもなぜか焦っていて、そわそわしていて、落ち着かなかった。暗く悲しい気分だった。


高校生時代

ザ・暗黒。ほとんど覚えていない。

学校に通うだけで精一杯。

自信の欠如が極まった状態で、人と話すのも嫌、勉強も嫌、とにかくすべてが嫌だった。

部活動に心血注いでいたけど、なぜかやったこともないバスケに挑戦し、毎日下手くそな姿を見せながら夜遅くまで練習に明け暮れる。

彼氏が一回だけできて、やることもやった。唯一心の安らげるひと時だった。優しく好きでいてくれた。


大学時代

希望通りの大学に入ったものの、自信の欠如状態が尾を引いていて、何事も楽しめない。

挑戦することはしたが、自分で決断できない、良し悪しが判断できない性格が災い?して、興味のないことをずるずる続けたりした。

だが、そんな回り道があとになって結構重要だったかも。

結局4年で卒業できずに24まで大学にいることになる。学費の件は思い出すたびに心臓が痛くなる。父ちゃん母ちゃんゴメン。

今のところお金を返せるあてはない…。


人目が怖くてしょうがなくて、外出ができないレベルにまでなっていたから、病院へ行く。流行りのうつ病かと思いきや、「不安障害」という病名をもらう。のちのち、これが「気分循環性障害」という名前に変更になる。そううつのもっと軽いバージョンだと思ってもらえれば。


とりあえず卒業はする。


25歳

実家に戻って療養という名目でダラダラする。一ヶ月はだらだらしていたのだろうか、思い立って昔通っていた塾へ講師として働くことにする。運良く採用。

月に3万くらいしか稼げなかったけど、予習が大変だったけど、生徒にはなめられるしで大変だったけど、いい経験になった。

りんご農家でのバイトも一緒に始める。

朝から夕方までりんご農家でのバイト、そこへ塾講師としてのバイトのダブルワークで心身ともに疲れ果てた時期が3ヶ月くらい続いた。

今思うとよく頑張ってたな。


25歳の春

とある人のブログやツイッターを見て感銘を受け、どうせ死ぬなら好きなことやって死のう。同じ場所でうずくまってないで、正社員になって働いてみよう。なんでもやったるで。

という開き直り方をして就活。その後、うまく今の仕事に就かせてもらった。

ラジオにまっっったく興味がなかったが、ある程度自由にさせてもらえる職場の雰囲気のおかげで、

やる気がゼロのときも周囲に気付かれず、なんとかお金をもらって夕方まで悠々と過ごすことができた。


26歳〜現在

だんだんと仕事が忙しくなる。

最初に任されていた仕事量の、おそらく2倍ほどに増えている。

しかしそれでも2倍か。

同時に、人間関係もきつくなる。仕事に理想を抱いて、ビジネスライクってなんだ!?そんなもの、必要ない!と苦悩し、頑なにフレンドリーな態度を心がけていたら、案の定浮く。

なおかつ、人に頼ることのできない性格が災いして、一人で仕事を抱え込んでいるという評価を受ける。


とりあえずここまで