友達と飲んだ

小学校時代の友達と飲んだんだけど、あんまり楽しくなかったな。

なんか、色々と勉強にはなったんだけど。


特別視されるってことは、手離しに良いことじゃないと思うぞ。

素の私を受け入れてくれないなら、何も話せることはないぞ。

私だって、ふつーの女だぞ。

甘えたいときもあるし、泣きたいときもある。


いつも強くいられないもん。

私に期待するのは勝手だけど、期待に添えなかったとき失望されると、傷つきますよ。


まあ、しゃーない。

期待されないように頑張らないことしかないな。

よっしゃ、頑張らない。

なんか違う

ま、ま、ま。


色々書いてるけど、わたしって色々なことが基本どーでもいい。

腹立つーって思うことはよくあるけど、それを行動に移すことはあんまりない。

自分にそれだけの力がないっていうのもあるし。

ちょっと時間置いたら薄れていくこともあるし。


そのぐらいの適当さ加減でいいんじゃないのとも思うけど、なんか違うなとも思う。

こんな調子でいたら自分のこと好きになれなくなってるんだもん。

最近腹が立ったこと

しいたけに変態呼ばわりされたこと。

変態の定義も言えないくせに、人を変態呼ばわりするんじゃないよ。

それから、奴が使う「ハッピーオーラ」という言葉について。

ハッピーオーラが足りないから、朝早く起きて海に入り、そらからきのこ鍋を食べ、充填してきてから来たと。

彼の言う「ハッピーオーラ」、どういう意味なのかよくわからないけども、「幸せ」という意味なら、つまらない人間だなあと思う。

「幸せになりたくない?」「こんな仕事、なくても社会は成り立つんだからさ、ちょっとは人の役に立つことをしたくない?」と言われたことがあるんだけど。

なくてもいい仕事が成り立つということは、そこに何がしかの需要が発生しているということ。

ラジオなんて娯楽でしかない。耳をダンボにして食い入るように聞く人なんていないわさ。

それであれば、娯楽に徹するべきだ。生き方自体が娯楽であってもいいじゃないか。

既成事実のすべてにNOという。徹底した娯楽ってそこだと思うけどな。

彼の場合は、その覚悟が足りないと思う。娯楽に徹する生き方。

どこかで、既成のものを大事にする癖に寄りかかっている。中途半端に変人なんだよ。



愛情と期待の違い

お姉さんの前で話すようにブログを書いてみる。


#nowplaying きのこ帝国「?(名前失念)」


いい声。このボーカルの女の子、かっこいいんだよな。

シューゲイザー系っていうの?そういうのを女の子がやることって新しいんじゃないの。


別に話したいことなんか何にもないんだけどさ。

こうしてブログを始めるということはなんがしかあるんでないの。


そもそもだな、私は人に自分の話をするのがたぶん物凄く苦手なんだと思う。

特に知らない人。冷や汗かくからね。脇汗。ドゥアーって。

そんでもって、あとからものすごい自己嫌悪に襲われる。あんな話して変だと思われなかったかな?とか、嫌われたかな引かれたかな、などなど。

煙草何本か吸っても落ち着かないの。そわそわしてね。

それは疲れますわ。当然ですわ。


根深い自己否定感が根底に巣食っていて、ちょっとやそっとじゃ取り外せないようになっているのかもしれないけど、そんな風に自己イメージを形作ってしまうと、あとから払拭するのが大変だと思うので、今言ったことは忘れたい。


自分に、自信がないんだと思う。変だ変だと言われ続ければそりゃあ自信もなくなる。

だけどそれを、打破するために。私は知識をつけなくちゃいけないのである。人と出逢わなければいけないのである。


そういえば、こんな言葉も見つけた。「友達がたくさんいると、一人に色んな特徴を求めなくてもよくなる。」とな!



土曜の夜に聞くラジオ

タイトルの話に戻ろうと思う。


自分の一面を発見した。

期待されることが嫌い。


愛してくれないんじゃやだ。


こんな世間知らずの子供のようなことを会社でやっているよ。

そのうちクビにされて辞めることになるだろう。


だがこれが私の本心だ、も〜〜〜〜〜〜〜ん


Wを聞いている。

メインパーソナリティの人は私に期待をしてくれていた。昔の話。

だけど私は、その人の思う通りには成長できないと思って重荷になった。

期待っていうのは、まあ愛情も同じだと思うけれども、人を縛ることだと思う。

そしてその中でだけ行動することが、人と人の絆を大切にすることになるんだと思う。


よって、最近思ったのは、社会でやっていくということは、縛られることなんだなあ。

愛情の本質とは、縛られることなんだと思う。

それができない場合は、自由である代わりに、愛情によって保証されない生活を送ることになる。

土曜の夜に聞くラジオ

お姉さんのことなら、たくさん書けそうな気がする。

お姉さんは、一見すると、会社では少しだけ浮いている。

だってナンシー関みたいな風貌なんだもん。

それで、仕事はやらないとなると、爪弾きにされて職を追われることになっていたと思うけど、

お姉さんは仕事ができる。

不平不満は言わない。

世の中そう甘くはないぞということを身を持って知っているみたいだ。

甘えないんだ。会社にも、人にも、私にも。たぶん、親や兄弟にも甘えないんじゃないかと思う。

孤独でつらいんじゃないかなあと思うけど、そのぶん人との付き合いを絶って孤独を感じる機会を減らしているように見える。


鯨からは、引きこもりだなどという評価をされていたけど、

私もそう思うけれども、それでもお姉さんを私はかっこいいと思う。

土曜の夜に聞くラジオ

今までほとんど感覚のみで生きてきたのかと思うくらい文章が書けないな。頭の中に論理だった考え方がないのかな。
いや、んなことはない。
あるんだけど、何から話していけばいいのかわからないのである。ていうか不特定多数の人に言いたいことなんかないからな。
親友っつーか私の話をうんうんって最後まで聞いてくれる人にしか、話したいことなんてそうないだろ。
一人だけ、私の話をちゃんと聞いてくれる友達がいる。会社で初めて、ご飯を一緒に食べた一歳年上のお姉さん。
ちょっとふくよかで、髪が長くて、仕事は完全にお金のために来ていて、疲れやすく、人との付き合いを面倒臭がる、うら若き女性には珍しい人なのであるが。
お、お、お。書きたいことがたくさん出てくるな。
もしかすると、人って、話したことしか書けないのかもしれないぞ。
というか、信頼している人間と話した記憶がないと、よもやこんなところで何かを書けるはずがない。
話すということは体験の一つであって、それがどんなものかわからないうちは、当然話すこともできないさ。
と言うわけで求む私の話を聞いてくれる人。もとい、信頼できる人。
お姉さんには、感謝しないといけないな。無関心の程度が、お互いに均衡しているので付き合いやすい。